美ら海水族館のイルカ「フジ」のこと。

テレビや新聞で見た方も多いと思いますが、美ら海水族館のイルカが人工尾ビレをつけたそうです。
驚きました。
もちろんその驚きは、喜びの驚き。
なぜなら2003年1月、始めて美ら海水族館に行った私は、このイルカにあっていたからです。

 一昨年、ある方に紹介をして頂き、美ら海水族館を訪問させて頂きました。
初めての沖縄、壮大なスケールの大水槽、全てが感動的でした。
新しくなった水族館の外には「沖縄海洋博」時代からあるイルカやマナティーのプールがあります。
屋外、それも沖縄の明るい日差で水面がキラキラと照り映えています。
訪問時、イルカのショープールは工事中で、もとの小さな(でも芝生に座ってショーを見られるステキな)プールで
イルカ達を見せて頂きました。
バックヤードも見せて頂いたのですが、その時予備プールに居たのがこの「フジ」でした。
イルカ特有の力強い尾ビレが、まるで小さなスプーンのようになったイルカ。
(そのときはまだ名前を知りませんでした)
壊死(えし)していくのを必死の介護で一命は取り留めたものの、尾ビレの大半を失うこととなったイルカの姿は
痛々しく、心がズキッとしました。
案内して下さった飼育の方がプールのふちからそのイルカを見せて下さったのですが、後から考えると、
水族館が好きという私は試されたのかもしれませんね。
イルカ(鯨類)を飼育している水族館は、保護団体等の攻撃ターゲットにされることも多いですから。
「海でこの病気にかかっていたらこの子は死んでいますよね。海では病気にかかったことも死んだことも
わからないけど、水族館ではその全てがわかるだけで・・・」
みたいなことを言った記憶がありますが、本当はなんて言っていいのかわりませんでした。
だって、飼育動物が病気にかかったときの飼育員さんの大変さや辛さは、ほんの少しですが
私のようなものにも察することが出来ますから…。
だからよけいに「元気になりますよね」とは聞けませんでした。
それほどイルカの尾ビレはひどい状態だったのです。
観光の浮かれ気分が急に切なくなり、言葉少なくその場を後にしましたが、
この一匹だけ寂しそうに浮かんでいるイルカは完治したとしても、もうもとのようには泳げないんだという
重い気持ちがズッシリと心から離れませんでした。
人間以外の生き物にとってそれが何を意味するのか、飼育下では生きて行けても、野生のイルカを考えたとき、
明るい考えは私にはとうてい浮かびませんでした。

 そして2年近い月日がたち、新聞で『難病イルカ:人工尾びれでジャンプ 沖縄・海洋博記念公園』の
記事を見たのです。
えっ!!あの子が?!あのイルカが!?
信じられない気持ちと嬉しさが一度にこみ上げました。
泳げるようになり、ジャンプもできるのです。
それをみて涙を流す人も居るそうですが、私もその場にいたらきっと泣いてしまったと思います。
歳をとると涙もろくなると言われそうですが、最近少しばかり自分の中に思い当たるところがあったからです。
実は近年父の聴覚が弱くなり、補聴器を医師にすすめられたのに、父はそれを受け入れがたい様子でした。
確かにどこかが痛いわけではなく他の人が耳元で話しかければ聞こえるので、
納得出来ない気持ちもわからないではありません。
しかし周囲の負担は言うまでもなく、時を重ねるつど否応なしに疎外感はつのっていくはずです。
人間には言葉という緻密に納得しあえる能力があります。でも・・・・
「メガネと補聴器はどこが違うの?無くしたものは補えばいい、不便ならば便利にすればいい。
私はパパと話がしたい…」ただそれだけのことを言うのにずいぶん時間がかかりました。
それぞれの思いが、それこそ抱えきれないほどあって…。
なのに大切な人に、こんな簡単なことが言えない、人間ってややこしい生き物です。
どになに思っても、伝えないと思わないのと一緒。
行動しないと、嫌いと一緒、居ないと一緒なんです。
こんな思いが心の中にあったからでしょう、無くしたものを取り戻したイルカの
(取り戻すことに奔走した人達の)記事に胸が熱くなりました。
人間とイルカは違います。
でも人とイルカの間には、飼育員さんという存在がいます。
人と人以外の生き物、その真ん中で働いている人、飼育員さんのことを私はそう思っています。
生かしているだけではダメ、よりよく生きて欲しい、無くした尾ビレを取り戻させてあげたい。
きっとそう望んだに違いありません。
だって、可愛そうにと思うだけなら飼育員でなくとも出来ることですから。
イルカ自身に無くしたものを取り戻すことは出来ません、それが出来るのは飼育員さんです。
そして熱い思いに動かされた人達が集まり、今回のプロジェクトとなったようです。

 飼育員さんの仕事って、生き物を飼育する事ですよね。
水族館や動物園という限られた世界で命を預かっている仕事。
でも、ただ飼うという単純な言葉で解決できないところは、そのどちらもが命のある生き物だという事。
あるとき、飼育の方にこう言われたことがありました。
「人間って歳をとったのがわかるけど、他の生き物って見た目で歳とってるってわから
ないのが多いから、ぼくの若い頃からの写真をズッと並べて見てみると、僕だけ歳とってるみたいなんだ」
その写真というのは、みんな飼育動物と一緒に写った写真だそうです。
水族館や動物園にあるのは、その中にいる生き物だけではなく、人生もあるようです。
人間だから、人間以外の生き物だから、そういう垣根は飼育員という仕事を選んだ人には
あまり無いのかもしれません。
命と命の関わり、そんな同じ時を一緒に生きた生き物が困っていたら・・・きっと助けようと思いますよね。
今回、イルカの事でいろいろ思うところがありました。
いつものように徒然なるままに書いたらなんだか長くなってしまいました。
実はもっと書きたかったりしますが、それはまた他のところで。
長文を読んで下さり感謝致します。m(_ _)m

イルカの「フジ」関連サイト。
http://blog.ohwada.jp/archives/2004/11/post_114.html